12月11日 きょうは何の日?

きょうは何の日

100円玉の日



きょうの本棚

①「貨幣の「新」世界史 : ハンムラビ法典からビットコインまで」カビール・セガール/著(337:貨幣)

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貨幣のルーツ物々交換でなく「債務」であるとする新説など、様々な視点からお金の起源とその未来を探る。

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②「日本貨幣カタログ<2023年版>」日本貨幣商協同組合/編集 紀伊國屋書店(発売)(337:貨幣)

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日本の主要な貨幣・紙幣を掲載。和同開珎から最新記念コインまで。

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③「月給100円サラリーマン」の時代 岩瀬彰/著 筑摩書房(382:風俗史)

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月給100円は大正末期から昭和10年代までの収入の目安で、およそ2000倍すれば現代の価値になるそうです。

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④「100円丼」小嶋貴子/著 トランスワールドジャパン (596:料理)

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冷蔵庫にあるものから作るボリューム満点100円レシピ。

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⑤「百円の男ダイソー矢野博丈」大下英治/著 祥伝社(673:商業経営)

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利益が1円でも売る百均商法、その型破りなビジネスモデルを作り上げた経営の秘密に迫る。

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⑥「ニッポン硬貨の謎 : エラリー・クイーン最後の事件」北村薫/著 東京創元社(913:日本文学・小説)

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五十円玉二十枚を千円札に両替する男に遭遇した小町奈々子は、クイーン氏と出かけた動物園で幼児誘拐の現場に行き合わせる。

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⑦「幸せのコイン」鯨統一郎/著 中央公論新社(913:日本文学・小説)

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煤けた五百円玉が紡ぎ出す、七つの小さな奇跡の物語。

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⑧「100円たんけん」中川ひろたか/ぶん 岡本よしろう/え くもん出版(絵本)

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百円で何が買えるのか、ぼくとお母さんは商店街を探検してみることにした。

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⑨「ひゃくえんだま」ねじめ正一/作 荒井良二/絵 鈴木出版(絵本)

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ひゃくえんだまをもらって、うれしくてうれしくて、ぎゅうっとにぎったままねむった。

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きょうは何の日? コラム

「百円玉の日」

 1957年のこの日、日本で初めて百円硬貨が発行されました。戦後初めての「銀貨」でした。図柄は表面に鳳凰、裏面に旭日と桜花、直径は今と同じ22.6mm。それまでの板垣退助が肖像の百円紙幣にかわるものでした。
 現行の百円硬貨が発行されたのは1967年。素材は銀から白銅へ、図柄は桜の花三輪へ変更されました。素材の変更は銀の値段が高くなったことが理由だそうです。また、図柄の桜は、日本を代表する桜「山桜(ヤマザクラ)」です。

「硬貨の歴史 世界」

 世界史でも習うように、世界で最初に硬貨をつくったのは、リディア(アナトリア半島にあった古代王国、現在のトルコ)です。リディアは英語読みなのでWikipediaではリュディアと表記されています。硬貨が使用されるようになったのは、リディアでは砂金が多くとれたことと当時の先進地帯であるメソポタミアとギリシャ世界の中間にあって交易が盛んであったからだといわれています。それまでは金や銀を計って取引していました。いわゆる秤量貨幣です。日本では江戸時代でも一部、秤量貨幣をつかっていました。秤ではかり使っていた豆板銀などがそれにあたります。交易が盛んだったので、一々はかるのが不便になったのでしょう。この硬貨はエレクトロン貨幣といいます。金と銀の合金だったからです。こうすると嵩ましにもなり流通量を多くすることができましたし、金だけより耐久性も高くなって硬貨として普段使いするのに便利になったということです。この貨幣は最終的に金貨と銀貨によって駆逐されていきます。エレクトロン貨幣は金の含有量がわかりにくかったからです。

「硬貨の歴史 日本」

 日本初の流通貨幣は和同開珎といわれています。わどう「かいほう」なのか「かいちん」なのか、いまだに諸説があるそうですが、これをはじめに皇朝十二銭が発行されていきますが、なかなか市中に流通しません。蓄銭叙位令を発して銭の流通をはかろうとしますが、百年もたたず廃止され貨幣自体が政府から発行されなくなります。貨幣があると、それで税金を取り立てることや給料を払うこともできるので、政府にとっては便利なものです。だからこそ当初は流通させようとしていたのですが、政府を牛耳る平安貴族に経済の知識などあるはずもなく、かれらが力をなくしていくのと平行して銭は利用されなくなっていきました。
 再び銭貨が使用されるようになるのは、渡来銭が大量に日本に流通するようになってからです。博多では宋銭が使われるようになっていました。博多には中国人のコミュニティがあったので使用されていましたが平安貴族は、これは贋金(私鋳銭)だとみなしていました。しかし、平安貴族らとは違う新興階級である武士が台頭してくると、かれらは、そんなことはお構いなしに宋銭を輸入し、莫大な富を築いていったのです。平氏はこれで勃興したといわれています。こうして、日本発行の銭貨のかわりに渡来銭が日本国内で長く流通するようになったのです。

「寛永通宝」

 渡来銭が長く日本国内に流通していましたが、17世紀末になり、それらを禁止して日本国政府つまり江戸幕府は「寛永通宝」を発行しました。これを裏返せば日本国内では、政府発行の貨幣でなく外国の通貨がながらく流通していたということになります。現代でいえば日本円でなくアメリカドルを使っていたようなものです。通貨が流通していた国でこれほど長く外国通貨を使っていたのは、あまり例がないでしょう。寛永通宝といえば銭形平次が思い浮かびます。四角い穴があいた硬貨です。織田信長の旗印も四角い穴の硬貨ですが、あれは渡来銭のひとつ永楽通宝のほうです。
 なぜ四角い穴のなのでしょうか。五円や五十円は丸穴です。仕上げのとき、あの四角い穴にちょうど合う四角い棒を通して銭の丸みの部分に残ったバリをとっていたからだそうです。まるいと削っているときにまわってしまうからです。また、銭貨は古代中国で作られたときから丸い形で四角い穴でしたので、中国思想にも原因があるといわれています。古代中国では「天は円、地は方形」を表すという考え方があり、円形の貨幣に四角 の穴を開けたのも、そのためだといわれています。


 

それでは、また次回。
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ビブリオ9

司書のビブリオ9です。
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